AOsukiは、首都圏で活動する青森県出身の経営者が中心となり構成する非営利団体です。

地元を愛し、地元に貢献したい。または青森出身でなくても興味がある、つながりがあるという方も気軽に参加できるイベント、活動を展開しております。

2016年4月15日(金)第1回:AOsukiメンバーから学ぼう会「青森の歴史編」開催しました。

2016年4月15日(金)第1回:AOsukiメンバーから学ぼう会「青森の歴史編」開催しました。

今回、AOsuki役員の米田さんを講師に迎え、青森の歴史について学びました。

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まず、誰もが疑問に思う八戸や七戸など何故「戸(のへ)」という呼び名なのか?を教えて頂きました。

元々東北には蝦夷(えみし)という住民がいて東北は蝦夷の国だった。当時大和朝廷が蝦夷の討伐を行う為に、征夷大将軍が東北の地を制圧する為に侵攻していたとの事です。

田村麻呂の後の文室綿麻呂(811年)が蝦夷を追討しました。その追討する為に北の地に侵攻する際、戦略拠点として1日行軍約15~20km間隔で1,2,3,4~8、9という事で名づけの要因として挙げられるとの事です。

※参考キーワード 柵戸(きのへ)

・屯田兵の城柵、いちのきのへ、にのきのへ・・・が語源。その後南部藩領時代に糖部群に九部(戸)四門の制の牧場制度ができた。1,2が南門、3,4,5が西門、6,7が北門、8,9が東門、また「へ」は紙伊の「へ」の説も。

 

青森県誕生の歴史

もともとは斗南藩という下北の方にあった地、弘前藩、黒石藩、七戸藩、八戸藩とそれぞれ別れていた。

廃藩置県により斗南藩が斗南県になり、斗南県小参事「唐澤安任」と八戸県大参事「太田広城」と両名で弘前、黒石、斗南、七戸、八戸、舘の6県合併による新たな弘前県が誕生。

初代県大参事により19日後に県庁を青森に名前も青森県に変更

というのが青森県の誕生の経緯との事です。

 

 

勉強会の後は新橋にあるわのみせ

で懇親会を開催しました。

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